無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

『ティム・バートンのコープスブライド』

本日は、『ティム・バートンのコープスブライド』について話をいたします。

主演がジョニー・デップ。ヒロインはヘレナ・ボナム・カーター。音楽はダニー・エルフマン。よっていつもティム・バートンの映画です。登場人物にはわからなくても観客には結末が読める予定調和なラストを迎える、余分な展開のない短い話なのに、いつものティム・バートンの映画です。死者の世界が活き活きしていて、生者の世界の方がよっぽど死臭が漂っている、そういったいつものティム・バートン監督の世界観で統一されています。

では、バートン監督の映画を読み解く時に忘れてはならないことが一つあるとすればそれは何でしょう?既にあちこちで言われていることですが、思うに、主人公が監督の分身であるということです。映画の登場人物には、監督のそれまでの人生における人間関係が如実に反映されています。

周囲に付き合える友人がおらず、ただひたすら創作活動に邁進していた頃はシザーハンズ、映画監督として地位を築き往年の名優や変わり者の仲間が集まってきた頃にはエド・ウッド、監督自身の父の臨終と重なるビッグ・フィッシュ、監督として成功し財を成して幸せな家庭も築いた近年にいたってチャーリーとチョコレート工場

意図的な部分もそうでない部分もあるでしょうが監督自身の成長と言いますか「理解者が一人でもいればよい」「世間からずれていても仲間がいれば寂しくない」「ていうか、やっぱり家族って大事だよね」、20年近くの間にこのような世界観の変化があったことは想像に難くありません。

さて、主人公が監督の分身であるとすると、この映画には何かとてつもなく恐ろしいものが潜んでいることが明らかになります。もういちどじっくり話の筋を見直してみましょう。

極端に内気なため孤独だけれど誠実で心の優しい主人公(主人公=ティム・バートンの自己投影
・彼の優しさに気付いた2人のヒロインから求婚されてしまう主人公(=ティム・バートン
・どちらのヒロインのことも傷つけたくない優しい主人公(=バートン)
・周囲の人々とヒロインの誤解のせいで状況が悪化したとき、責任を取る誠実な主人公(=同文)
・2人のヒロインはどちらも自分の幸せより彼の幸せを願うのです。なぜなら主人公(=同文)は本当に素晴らしい人なので

傍から見た限りでは二人とも幸せそうだったリサ・マリーとの結婚生活を監督が突然破棄して、最近の映画でヒロインを演じているヘレナ・ボナム・カーター(以前の配偶者の親友でもあるらしい)と再婚していることを考えると、「運命の人と出会ったのに間違って別の人と結婚してしまったとても優しくて誠実で繊細な主人公」の物語とは、背筋が寒くなります。
おいおいティム、それは誰がモデルなんだい?てな感じです。

しかも、間違って結婚してしまった「とても良い人だけれど運命の人ではない結婚相手」の役を、今の妻に演じさせるあたり、
ティム・バートンのコープス・ブライド』は何かとんでもない監督の心の闇を背負っており、本当に怖いと思うのです。

耳を澄ますと聞こえてきませんか
「別れたけれど彼女は悪くない。今の妻のせいでもない。何より、僕は全然悪くない。」という監督の心の声が。
個人的な言い訳をこれほどまでに感動的な物語として語れる方を、手前は他に存じません。