『ゴーストワールド』『アメリカン・スプレンダー』
本日は、『ゴーストワールド』と『アメリカン・スプレンダー』についての話をいたします。
この2本の映画は同じ素材で作られた話のように見えるのです。
『アメリカン・スプレンダー』は「代わり映えのしない日常にイライラしているさえない中年のレコードコレクターであるハーヴィーの家にファンを名乗るちょっと変わった女性ジョイスが現れ、風変わりながらも平凡な家庭人になれそうです。」まあ、だいたいそのような話です。
で、『ゴーストワールド』は「代わり映えのしない日常にイライラしているちょっと変わった高校生イーニドがさえない中年のレコードコレクターであるシーモアの前に現れ、彼を勝手に英雄視した挙句彼の平穏な人生を半壊させる。」という話なわけで、使われているパーツは基本的にほぼ同じと言えそうです。
どちらがどちらをパクったという話ではない。どちらにも原作者の一人としてロバート・クラムが関わっているのですから。
ロバート・クラム氏は「コレクター仲間しかつるむ相手のいないさえない中年レコードオタクの前にファンを名乗るおかっぱ頭の眼鏡っ娘が突然現れて、ハッピーエンドになるかバッドエンドになるか」という話に二本続けて関わっているわけです。
原作者自身も中年のレコードコレクターであるからして、つまり、まあその…。
物語というものは作り手の内面にあるものから出てくるのだなあ、と。そう申し上げたい。
とはいえ『ゴーストワールド』原作では登場しなかったレコードコレクターと主人公の恋愛が映画版では中心的な内容になっていました。
でもって、『アメリカン・スプレンダー』はレコードコレクターの主人公とその妻の話です。
『ゴーストワールド』原作では存在しなかった場面が映画版での脚本では中心に据えられており、その結果『アメリカン・スプレンダー』と似た話になるとは不思議です。なぜでしょうか?
まあ、『ゴーストワールド』のテリー・ツワイゴフ監督と原作者ロバート・クラムは親友であり、『アメリカン・スプレンダー』の原案はロバート・クラムの親友ハーヴィー・パーカーの実体験であるからして、ツワイゴフ、クラム、パーカー三人の間でネタがぐるぐる循環しているということも大いにありうるとは思います。
さらに、ロバート・クラムがハーヴィー・パーカーの半生を漫画化したのと同じように、ツワイゴフ監督もロバート・クラムの半生を映画化しています。
それにしても、いずれの映画でも
「さえない40代のレコードコレクターの前に眼鏡で黒髪の女性が現れる」という内容的な部分だけでなく
ツワイゴフ、クラム、パーカーもレコードコレクターである、という作者の背景、
なにより三人が三人とも自分たちの人生を親友の手を借りて世に発表しているという縁で結びついており、
ただの親友というより作品を通じた人生共同体と化しているあたり、すごく業の深い仕事だなと、思うのです。
この2本の映画は同じ素材で作られた話のように見えるのです。
『アメリカン・スプレンダー』は「代わり映えのしない日常にイライラしているさえない中年のレコードコレクターであるハーヴィーの家にファンを名乗るちょっと変わった女性ジョイスが現れ、風変わりながらも平凡な家庭人になれそうです。」まあ、だいたいそのような話です。
で、『ゴーストワールド』は「代わり映えのしない日常にイライラしているちょっと変わった高校生イーニドがさえない中年のレコードコレクターであるシーモアの前に現れ、彼を勝手に英雄視した挙句彼の平穏な人生を半壊させる。」という話なわけで、使われているパーツは基本的にほぼ同じと言えそうです。
どちらがどちらをパクったという話ではない。どちらにも原作者の一人としてロバート・クラムが関わっているのですから。
ロバート・クラム氏は「コレクター仲間しかつるむ相手のいないさえない中年レコードオタクの前にファンを名乗るおかっぱ頭の眼鏡っ娘が突然現れて、ハッピーエンドになるかバッドエンドになるか」という話に二本続けて関わっているわけです。
原作者自身も中年のレコードコレクターであるからして、つまり、まあその…。
物語というものは作り手の内面にあるものから出てくるのだなあ、と。そう申し上げたい。
とはいえ『ゴーストワールド』原作では登場しなかったレコードコレクターと主人公の恋愛が映画版では中心的な内容になっていました。
でもって、『アメリカン・スプレンダー』はレコードコレクターの主人公とその妻の話です。
『ゴーストワールド』原作では存在しなかった場面が映画版での脚本では中心に据えられており、その結果『アメリカン・スプレンダー』と似た話になるとは不思議です。なぜでしょうか?
まあ、『ゴーストワールド』のテリー・ツワイゴフ監督と原作者ロバート・クラムは親友であり、『アメリカン・スプレンダー』の原案はロバート・クラムの親友ハーヴィー・パーカーの実体験であるからして、ツワイゴフ、クラム、パーカー三人の間でネタがぐるぐる循環しているということも大いにありうるとは思います。
さらに、ロバート・クラムがハーヴィー・パーカーの半生を漫画化したのと同じように、ツワイゴフ監督もロバート・クラムの半生を映画化しています。
それにしても、いずれの映画でも
「さえない40代のレコードコレクターの前に眼鏡で黒髪の女性が現れる」という内容的な部分だけでなく
ツワイゴフ、クラム、パーカーもレコードコレクターである、という作者の背景、
なにより三人が三人とも自分たちの人生を親友の手を借りて世に発表しているという縁で結びついており、
ただの親友というより作品を通じた人生共同体と化しているあたり、すごく業の深い仕事だなと、思うのです。