無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

『チキ・チキ・バン・バン』

本日はミュージカルチキ・チキ・バン・バンについて話をいたします。原作者は『007』シリーズでも知られるイアン・フレミング。映画本編を見た事がない人でも、「チキバンバン♪チキチキバンバン♪~」というテーマ曲はご存知でしょう。

自動車の排気音に付けられた擬音語「chitty chitty」を「チキチキ」と表記するよう立案したのは映画評論家として、また映画『シベリア超特急』シリーズの監督として有名な水野春朗さんであると聞いたことがあります。

映画のあらすじをざっと紹介いたしますと、
空想癖のある発明家のカラクタカス・ポッツが大破したレースカーを買い取り、ピカピカに修理する。二人の子供と知り合いのトルーリーを連れてドライブに出た彼は、自分たちと車「チキ・チキ・バン・バン号」を主人公とした冒険物語を即興で作り、語って聞かせるのでありました。
大体そのようなお話です。

さて、劇中劇で冒険の舞台となる架空の国バルガリアは主人公の空想が作り上げた世界であり、映画というお話の世界の中で主人公が子供に語って聞かせるお話、という入れ子構造になっています。思いますに、ミュージカルは劇中劇や、現実と妄想が入り混じっていく作劇方法と親和性が高いものです。古くは『オズの魔法使』『雨に唄えば』、近年の『ムーラン・ルージュ』『シカゴ』など等。

劇中劇や主人公の空想が物語内で展開される場合、多くは主人公が直面している問題が反映された空想や劇になります。『オズ~』『ムーラン・ルージュ』『シカゴ』しかり。そう考えますに、『チキ・チキ・バン・バン』の主人公の抱えていた現実世界の問題とは何か、彼は何故そのような空想の世界を築いたのか、を考えると何かが見えてきます。

主人公ポッツが直面している問題と、彼が旅する空想世界の出来事を対比させて見ましょう。ポッツ氏は発明家です。もう少し正確を期しますと、生活能力の欠如した夢想家でやや社会不適応自称発明家です。

父と二人の子と暮らしており、ポッツ氏の父は…その、多少、まあ今は認知症と呼ぶのでしたっけ。そう、認知症気味でして、探険家の格好をして庭を徘徊…いえ、えーと、お散歩する習慣をもっていらっしゃいます。ポッツ氏には子供が二人おりまして、非常に親子仲がよろしい。おや?子供がいるのにポッツ氏の配偶者の姿がありません。なぜでしょう?

まあ、わからないでもないです

次に、ポッツ氏の作り上げた彼の内的世界たる空想の国と、その国の住人について検討しましょう。バルガリアの領主ボンバースト男爵は極度の恐妻家で、男爵夫人は子供が大嫌いなのです。このような空想をするとは、ポッツ氏の過去に何かあったのでしょうか?

悪役ボンバースト男爵は新しい機械が大好きで発明家を狩り集め、子供が大嫌いなので城の中は老人で溢れかえっているのです。何故彼はこのような空想を心の中で育んだのか?

まあ、わからないでもないです

ポッツ氏は空想の中で自分の願望を投影するかのごとく発明品を大活躍させ、劇中劇をハッピーエンドにします。その直後現実も転機を迎えてハッピーエンドになるわけです。
深読みすると、悪役ボンバースト男爵はポッツ氏のトラウマに人物としての形を与えたものに見えるのです。

ポッツ氏は自分の空想の中で自らのトラウマに悪人という形を与えて対峙し、空想の中で悪役を倒すことでトラウマを解消したのではないか。
空想の中で悪役に与えられた姿が、「恐妻家の独裁者」と「子供が嫌いな男爵夫人」であり、悪役を倒した直後、主人公の意識が現実に引き戻される瞬間に子供からかけられた言葉で主人公は(結末ネタバレ文字色反転→)ヒロインに対し結婚を申し込むのです。

物語を作り、物語の中でトラウマと向き合うきっかけを作るあたり、何だか箱庭療法か物語療法のサンプル事例のような話でした