『スーパーマン』のラストシーンについて
本日は、クリストファー・リーヴ主演の1978年版『スーパーマン』について話をいたします。
『スーパーマン』はDCコミックスから出版された漫画を原作にしており、アメリカン・コミック(アメコミ)映画化の代表例としても知られております。DCコミックスから出版されているアメコミにはバットマンやヘルボーイなどもあり、しばしば同一の事件で共闘するエピソードが登場します。
アメコミの映画化、というのにはいくつか典型例がございまして、
・主人公がスーパーパワーを身につけヒーローになるまで
・ヒーローに打ち負かされた悪役が、ヒーローのライバルになるまで
を描くパターンがしばしば見られます。
例えば、サム・ライミ監督の『スパイダーマン』はパワーを身につけた後、ヒーローとしての自覚を持ち始めるまでの話です。
『パワーパフ・ガールズ ムービー』はTVシリーズの前日譚に当たり、これもまた主人公がヒーローとしての自覚を持つまで、ヒーローとしての活動を始めるまで、そして悪役がパワーパフ・ガールズの宿敵となった因縁について、が語られています。
コミック原作ではありませんが、ブルース・ウィリス主演の『アンブレイカブル』ではアメコミにおけるヒーローと悪役について鋭い分析が行われており、登場人物の行動もその分析を踏まえたものになっています。
主人公がヒーローになるまで・悪役が悪役になるまでのいきさつを描くパターンの少し変則的な使い方として、「初登場時の外見が原作と異なる」という例も見られます。
『X-MEN』では、現実にはまずありえない髪の色や、立体造形がどうなっているのか良く判らない髪型なども忠実に再現されていたにも関わらず、登場人物の一人が「前髪だけ銀髪」という原作の設定を取り入れていなかったことがあるのです。しかし、これには理由がありました。最後にはちゃんと原作どおりの姿になり、つじつまが合うように作られていました。
つまり、皆様ご存知のヒーロー・悪役が今の姿になるまでには何があったか?
は、映画化においてしばしば使われる題材だ、とそう申し上げたい。
さて、思いますに、映画『スーパーマン』は主人公がヒーローになるまでのいわゆる「第一話」を扱っているだけではなく、悪役もまた悪役としての自覚を持つまでの物語だったのではないか。
悪役は原作でも長いこと登場している悪の天才科学者にして大富豪、一時期DCコミックスの漫画の中では合衆国大統領も務めていらっしゃいました、レックス・ルーサー。彼はスーパーマンシリーズで最も知られた悪役です。
ところが、最初にジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーを見たとき、原作読者はこう思ったに違いありません。
「お前誰だよ」
もっとはっきり申し上げますと、「何でルーサーの髪がフサフサしてるんだ!」と。
考えますに、映画『スーパーマン』において、原作と異なりレックス・ルーサーがフサフサだったのは何故か、それには理由があるのです。
その理由が、最後の最後に示されるのであります。
スーパーマンによって刑務所に護送されるレックス・ルーサー、
彼を見て刑務所長が一言、「そいつは誰だ!」
レックス・ルーサーは自らの頭を掴み、カツラをむしりとって答えます、
「私はレックス・ルーサーだ!今世紀最大の犯罪者だ。」、と。
つまり、こういうことです。
『スーパーマン』のラストシーンは、悪人として登場したルーサーがスーパーマンに敗れ、刑務所に運ばれ、そこでかけられた言葉「そいつは誰だ!」に対して、自分こそが史上最高の悪人であり、スーパーマンの最大のライバルである、と宣言する、悪役のアイデンティティ確立の瞬間であり、
同時に、ジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーを見て原作読者の誰もが思う「お前は誰だ!」に対して、カツラを外して「レックス・ルーサーだ!」と答えているのです。
悪役が、自分こそが『スーパーマン』世界における最大の悪役であることを宣言し、
宣言と同時に原作で知られている姿になる、しかもそれがギャグになっている。
というのはなかなか秀逸な演出だと思うのです。
『スーパーマン』はDCコミックスから出版された漫画を原作にしており、アメリカン・コミック(アメコミ)映画化の代表例としても知られております。DCコミックスから出版されているアメコミにはバットマンやヘルボーイなどもあり、しばしば同一の事件で共闘するエピソードが登場します。
アメコミの映画化、というのにはいくつか典型例がございまして、
・主人公がスーパーパワーを身につけヒーローになるまで
・ヒーローに打ち負かされた悪役が、ヒーローのライバルになるまで
を描くパターンがしばしば見られます。
例えば、サム・ライミ監督の『スパイダーマン』はパワーを身につけた後、ヒーローとしての自覚を持ち始めるまでの話です。
『パワーパフ・ガールズ ムービー』はTVシリーズの前日譚に当たり、これもまた主人公がヒーローとしての自覚を持つまで、ヒーローとしての活動を始めるまで、そして悪役がパワーパフ・ガールズの宿敵となった因縁について、が語られています。
コミック原作ではありませんが、ブルース・ウィリス主演の『アンブレイカブル』ではアメコミにおけるヒーローと悪役について鋭い分析が行われており、登場人物の行動もその分析を踏まえたものになっています。
主人公がヒーローになるまで・悪役が悪役になるまでのいきさつを描くパターンの少し変則的な使い方として、「初登場時の外見が原作と異なる」という例も見られます。
『X-MEN』では、現実にはまずありえない髪の色や、立体造形がどうなっているのか良く判らない髪型なども忠実に再現されていたにも関わらず、登場人物の一人が「前髪だけ銀髪」という原作の設定を取り入れていなかったことがあるのです。しかし、これには理由がありました。最後にはちゃんと原作どおりの姿になり、つじつまが合うように作られていました。
つまり、皆様ご存知のヒーロー・悪役が今の姿になるまでには何があったか?
は、映画化においてしばしば使われる題材だ、とそう申し上げたい。
さて、思いますに、映画『スーパーマン』は主人公がヒーローになるまでのいわゆる「第一話」を扱っているだけではなく、悪役もまた悪役としての自覚を持つまでの物語だったのではないか。
悪役は原作でも長いこと登場している悪の天才科学者にして大富豪、一時期DCコミックスの漫画の中では合衆国大統領も務めていらっしゃいました、レックス・ルーサー。彼はスーパーマンシリーズで最も知られた悪役です。
ところが、最初にジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーを見たとき、原作読者はこう思ったに違いありません。
「お前誰だよ」
もっとはっきり申し上げますと、「何でルーサーの髪がフサフサしてるんだ!」と。
考えますに、映画『スーパーマン』において、原作と異なりレックス・ルーサーがフサフサだったのは何故か、それには理由があるのです。
その理由が、最後の最後に示されるのであります。
スーパーマンによって刑務所に護送されるレックス・ルーサー、
彼を見て刑務所長が一言、「そいつは誰だ!」
レックス・ルーサーは自らの頭を掴み、カツラをむしりとって答えます、
「私はレックス・ルーサーだ!今世紀最大の犯罪者だ。」、と。
つまり、こういうことです。
『スーパーマン』のラストシーンは、悪人として登場したルーサーがスーパーマンに敗れ、刑務所に運ばれ、そこでかけられた言葉「そいつは誰だ!」に対して、自分こそが史上最高の悪人であり、スーパーマンの最大のライバルである、と宣言する、悪役のアイデンティティ確立の瞬間であり、
同時に、ジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーを見て原作読者の誰もが思う「お前は誰だ!」に対して、カツラを外して「レックス・ルーサーだ!」と答えているのです。
悪役が、自分こそが『スーパーマン』世界における最大の悪役であることを宣言し、
宣言と同時に原作で知られている姿になる、しかもそれがギャグになっている。
というのはなかなか秀逸な演出だと思うのです。