無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

チャーリーとチョコレート工場

本日は、ティム・バートン監督による『チャーリーとチョコレート工場』について、今までの同監督の作品における共通点及び差異と比較して考えてみましょう。

この映画の主人公に該当する人物は二人おりまして、一人は子役のフレディ・ハイモア君が演じております貧乏少年のチャーリー・バケット、もう一人は、そのチャーリー少年があこがれている天才発明家にしてチョコレート工場の経営者である、ウィリー・ウォンカであります。

以下、ティム・バートン監督の『チャーリーとチョコレート工場』における、ウィリー・ウォンカのキャラクター設定について、同じ原作を基に作られているジーン・ワイルダー主演の『夢のチョコレート工場におけるウォンカ氏と比較いたします。

思いますに、両者いずれも遊園地に改造した工場に住む浮き世離れした変人で天才発明家という部分は共通しており、生意気な子供を恐怖のどん底に叩き込む一方で良い子にご褒美を与えるキャラクター、つまりおとぎ話における魔法使いや仙人としての役割を持っています。

しかし、ワイルダー版ではどこか冷徹な部分があり老成した印象があったのに対して、ティム・バートン版では天才ではあるが幼い性格になったように見えます。
言い換えますと、ティム・バートン版はチャーリー少年に諭されることで、良い子と悪い子を判定する審判のはずのウィリー・ウォンカのほうが成長する物語になっていました。

チャーリーとチョコレート工場』では、ティム・バートン監督が何度も取り上げている題材、バットマン』ではジョーカーに、『マーズ・アタック』では火星人に背負わせていた個性すなわち「何を考えているのかわからない凶暴で残酷な子供という性質を、ウォンカ氏に与えていたのでしょう。

次に、以前このブログで取り上げましたティム・バートン監督映画の変遷、すなわちバートン監督の映画の登場人物は、監督自身の人間関係に対する認識の反映である、という前提を踏まえて考えてみます。

我がままなウォンカ氏が家族の大切さに気がつくまでの成長物語になった理由は、ティム・バートンが監督として経済的に安定し、家庭を築き、「やっぱり家族って大事だよね」という認識を持ったことに起因するのではあるまいか。

ディズニー的なるものへの反感や郊外に住む中産階級への嫌悪など、今までのバートン監督映画に共通している部分はこの映画からも多く見られます。
工場の立地も、自宅を秘密基地にしている大富豪という点は『バットマン』、雪景色の中の大邸宅は『シザーハンズ』『バットマンリターンズ』、壁や屋根がひしゃげた建物も彼の映画にはしばしば登場します。
このように、『チャーリーとチョコレート工場』は、今までのバートン監督のパターンをしっかりと踏襲しております。

しかしながら、「何を考えているのかわからない凶暴で残酷な子供であるところのウィリー・ウォンカが今までの行動を反省し、精神的な成長を遂げる、という内容に関しては今までの監督の作品傾向から大きく外れています。

今まで映画を作るたびに発せられている監督の言葉、“どんな映画を作っても僕自身の話になってしまう”から推測するに、監督が家庭を持ち家族の大切さを実感したことが、登場人物の行動に強く影響を与えているのは確実でしょう。

続く。
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ティム・バートンのコープスブライド
http://blogs.yahoo.co.jp/tokuni_imiha_nai/17404268.html