無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

チャーリーとチョコレート工場 その3

当ブログで『チャーリーとチョコレート工場』について話をいたしますのも、今回で3回目となりました。

以前述べましたとおり、『チャーリーとチョコレート工場』でジョニー・デップが演じたチョコレート工場の経営者ウィリー・ウォンカは、常にゴム手袋をしているという設定です。この設定は、マイケル・ジャクソンをモデルにしたためなのかどうか?この問題については置いておきましょう。

チャーリーとチョコレート工場』のウォンカ氏は、心に色々と複雑な傷を負っています。そのため、過去の記憶に飲み込まれて放心したり、予想外のことが起こると同じ言葉を繰り返したり、しばしば不審な行動を示します。

そんな彼が過去のわだかまりを解消する場面を見てみましょう、それまで痙攣するような笑顔などで表現されていた心の動きが手に表れるのです。
緊張する沈黙の中、心の動きと戸惑いが手に伝わり、手の動きがゴム手袋を通じてキリキリミシミシという音が響きます

見ていて背筋が粟立ちました。
この監督の映画では、縫われた目玉やら拷問具やら、ぬらぬらした光沢の服やらを可愛らしく描いてきましたが、この場面はかなり精神的に…、えーと、もっとはっきり申し上げまして、うわぁ、バートン監督やっぱり変態だッ!と感じて恐怖したのですよ。

同監督のシザーハンズでは主人公の手はハサミであり、バットマンリターンズ』の悪役の手には水かきがありました。コープスブライド』のヒロインはいわばゾンビですから、片手が骨だけだったり手首から先が取れてしまったりするのです。

端的に申し上げます。
もしかして、ティム・バートン監督は手フェチなのか
それも、かなり特殊なタイプの。

もちろん、『シザーハンズ』において主人公の手がハサミだったのは、相手を傷つけることを恐れて人間関係を築くことが出来ない性格であることを、他人に触れることが出来ないハサミの手という異様なシチュエーションに託して表現していることは疑い得ません。
このことから、ティム・バートン監督の映画において「手」は、登場人物の性格や心情を象徴するものである、と真っ当な解釈をしておきましょう。

さて、ついでにもう一つ邪推をさせていただきますに、『チャーリーとチョコレート工場』はリメイク元の『夢のチョコレート工場』と異なり、厳しかった父との和解が重要なテーマとして新たに付け加えられております。『スリーピー・ホロー』は、厳格な父によって奪われた家庭を新たな形で築きなおす話、と読み取れます。

上記2つのバートン監督映画で共通しているのは、厳格な父の存在だけではありません。主人公の優しい母を、監督の配偶者に演じさせているのです。主人公は監督自身の分身だとしばしば指摘されていることから考えますに…、
以前の記事でも申し上げました通り、この監督の映画はいつも、画面の奥底に名状しがたい心の闇が蠢いているのが垣間見えるのです。

以前の記事はこちら!
ティム・バートンのコープスブライド
http://blogs.yahoo.co.jp/tokuni_imiha_nai/17404268.html
チャーリーとチョコレート工場
http://blogs.yahoo.co.jp/tokuni_imiha_nai/19137063.html
チャーリーとチョコレート工場 その2
http://blogs.yahoo.co.jp/tokuni_imiha_nai/19266649.html