無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

千と千尋ともののけ姫とトトロについて

ひさし鰊(ぶり)の更新となりました、本日は、宮崎駿監督の大ヒット作もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』の間で共通する題材について、話を致しましょう。

その前に、ひとつ考えておきたいことがあります。もののけ姫』はいつの時代を舞台にしているのでしょうか?登場人物が武者鎧を着ていることと鉄砲鍛冶が存在すること、この二つから考えますと日本における戦国時代、16世紀以降に思えます。
しかしながら、『もののけ姫』の内容に眼を向けますと、物語の展開は戦国時代より少なくとも1000年以上前、日本書紀古事記で示されていた伝説の内容と重なる部分、あるいは古事記日本書紀から引用した・影響を受けた部分が多々見られます。

古事記などの日本神話の記述内容は要するに、太陽神である天照大神の子孫たちがいかにして日本各地に住む土着の神々や魔物の類を打ち倒してきたか、を描いています。世界各地の宗教の歴史で、対立する宗教が滅ぼされた後、滅ぼされた側の神々は勝ち残った側の神話で悪魔として記載されるか、あるいは勝ち残った神の家臣になるか、いずれかがほとんどです。
ギリシア神話における牧神がヤギの角と下半身を持つ半人半獣の姿で描かれていたため、キリスト教圏での悪魔は頭に捩れたツノと足に蹄を持つ男性の姿で描かれるようになった、という話はその例として挙げられます。

もののけ姫』では、森や山で暮らすその地の守り神たちは滅ぼされる怒りで、人々に災いを為す祟り神に変化します。これは、神話における悪魔や邪神はどのような原因で正統な神格(あくまで勝者が書いた歴史において、ですが)からはじき出されてきたか、を象徴的に描いたものといえるでしょう。

もっとも、地方の神が中央の神に破れ、やがて妖怪として扱われるようになる過程を、本当に観客の目の前で神獣がデロデロと溶けていく様子として描いている点を考えますと、民俗学で使われる「神から妖怪へ」というたとえをそのまま絵にしているので、象徴的どころか直接的な描写ともいえますけれども。

つまるところ、地方の神が王権によって滅ぼされ、祟りをなす荒ぶる神として位置づけられた後で、その地の地名や奇観の由来として名を留め、その地と一体化したものとして鎮められる。民俗学的な神格の変化の過程を3時間弱の時間に凝縮して描いたものが『もののけ姫』だと言えます。

さらに、主人公であるアシタカの出身も、重要な意味を持ちます。どうやら、「遥か東の地に暮らす、石の矢じりを使う勇猛な民」の出であるらしいことは台詞で示されていました。
深読みいたしますと、大和朝廷によって東に追いやられた狩猟民族の末裔なのではないか、と予想されます。

アシタカの使う矢が鉄製ではなく、“石の矢じり”であるという設定は注目に値します。なぜかと申しますに、古代史では、鉄は重大な意味を持っているためであります。古代日本史においても、弥生時代に大陸との交易を築いた大和朝廷が鉄を手に入れ、その軍事的アドバンテージによって日本を統一した、という説があります。
このように、日本の歴史に対する民俗学の解釈と重ね合わせて考えると、アシタカは中央の王権によって東に追いやられた狩猟民族の子孫である。という仮説が成り立つわけです。

うわー、長々と書いているのにまだ前フリが終わらないんですよ。
本題が『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』の間で共通する題材について、なのにまだ一言も『千と千尋』に触れてませんよ。

そんなわけで、続く。