無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

ループしてます。『ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち』

ループしてます。ループしているんです、監督が。ティム・バートン監督の映画は共通のモチーフが繰り返し使われておりまして・・・、

モチーフとしては、例えば遊園地。特に『チャーリーとチョコレート工場』ではその傾向が顕著です。付け加えるなら、遊園地の中でもゴーストトレインとかお化け屋敷とか、そういったものを好むことが見て取れます。あるいは、ドイツ表現主義の引用。遠近感を強調し書き割りのように歪んだ背景、灰色ががった画面でスモークが焚かれ、あるいは極端な極彩色で描かれた画面作り。『ビートルジュース』『バットマン・リターンズ』『スリーピー・ホロウ』で確認できます。また、昔の特撮やコマ撮りアニメへの傾倒も見て取れます。『マーズ・アタック!』『ティム・バートンのコープスブライド』『フランケンウィニー』などが該当します。他にも、しばしばヒロインが“C・リッチを金髪にしたような容姿”であること。往年の大物ホラー映画俳優を脇で重要な役に据えること。等々。

まだまだありますが映画のルックスについての話はこのくらいとして、次に映画の内面の話。前にも申し上げた記憶がございますが、ティム・バートン監督作品においては、同監督の実人生が大きく反映されているとしばしば指摘されています。映画監督として認められつつある頃に『エド・ウッド』、父を亡くした頃に『ビッグ・フィッシュ』、子育ての頃に『チャーリーとチョコレート工場』、絵本『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』は当時の恋人リサ・マリーに捧げたものでヒロインの名前がサリー。

ただ、主人公が監督の分身だとすると、直接語られているストーリーの裏に時折不穏な何かが紛れ込んでいることが挙げられます。その不穏さの一つは、家族に対する見方/考え方にあると手前は考えております。

バートン監督映画で描かれる親子関係について考えてみましょう。初期作品では“主人公の個性を理解してくれない父親像”が繰り返されていましたが、ある一時期、父との和解をテーマにした作品が続いたことがございました。

前述の通り、『ビッグ・フィッシュ』は、バートン監督が父親を亡くした頃の映画です。『チャーリーとチョコレート工場』もまた、原作絵本にはない父との和解エピソードが付け加えられています。これらの映画について、バートン監督はいくつかのインタビューで、子育てを通じて父の心境が理解出来るようになってきた旨、述べていました。

父の思いを理解出来たためか、その後、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』『ダーク・シャドウ』と、主人公(=監督の分身)が機能不全の家族の長を演じる映画を撮っています。
一見しただけでは判らないかもしれませんが、『スウィーニー・トッド』はトッド氏、ミセス・ラベット、トビーの三人で構成される疑似家族なのです。仕事一徹で家族を顧みない父、子供に優しいが夫に逆らえない母、父に反抗する息子、の立ち位置にあります。

これはバートン監督が初期作品で扱ってきた物語の構成であり、父と互いに分かり合えなかった子供時代の再現話なのです。原作の演劇では青年であるトビーを少年に置き換えたのは、疑似家族の物語となった為と見て間違いありません。

スウィーニー・トッド』では、トッド氏(=監督の分身)の思惑とは無関係に実の娘の夢“自由に暮らしたい”を叶え、トビーに“カミソリの扱い”を引き継がせる物語であります。『スウィーニー・トッド』では皮肉な形で伝承が行われたものの、『チャーリーとチョコレート工場』と同じく、ジョニー・デップ(=監督の分身)が家族と再会し、自己実現を果たし、後継者に出会う話なのです。

ダーク・シャドウ』では、昔々のご先祖様(演:ジョニー・デップ)が現代に蘇り、没落した家を再興しようと奮闘する話であります。このように見れば、『ビートルジュース』『シザーハンズ』のように、“周囲にとけ込めず、家族にも理解されない子供の話”から“家族のため努力はしているが、子供から理解されない父親の話”、と主人公の立ち位置が異なってきたことが判ります。

とはいえ、『アリス・イン・ワンダーランド』では主人公の夢を事ある毎に邪魔するのが母であることから、無理解な親の役割を父から母に置き換えただけなのではないか。その後、初期の映画のリメイク『フランケンウィニー』を撮っていることから、手前は確信いたしました。着実にバートン監督のトラウマはぶり返しつつある、と。

そして、遂に観ました『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』。

遊園地!ハリーハウゼン風コマ撮りアニメ!往年のホラー俳優!ねじれた影で表現される怪物!C・リッチ似のヒロイン!根暗な少年!骸骨!目玉!サーカステント!なんとまあ、バートン映画で繰り返し繰り返し使われてきたモチーフが今までで最も多く使われているかもしれません。

人物配置についても、イーノックとオリーヴの二人はジャックとサリーに通じる配置になるでしょう。そう言えば、『トイ・ストーリー』が公開された頃、“ティム・バートンが一番感情移入できる登場人物は、アンディの隣の家に住むシドだろう”というジョークがありましたが、それを思い出させるキャラクターでした。観ればお判りと思います。

少年期の嫌な思い出の再現もかつての映画のようになされています。中でも、“僕はカリフォルニアが大嫌いだ”というトラウマについては、今までの映画で一切のぶれが無く引き継がれています。子供の頃、よほど居所がなかった事が伝わってきます。

さらに『ミス・ペレグリン』では、かつてのバートン映画と同じく、両親と主人公は全く分かり合えない人物として描かれています。バートン監督の両親に対する複雑な感情は『ビッグ・フィッシュ』『チャーリーとチョコレート工場』では解消されていなかったことが読み取れます。

過去作では父との和解に際して重要なファクターとなっていた、“幼少の頃の主人公に冒険話を聞かせていたホラ吹き”という役割が、父ではなく祖父に与えられています。祖父でも父でも変わりないだろう、ですって?いえいえ、そうではありません。『マーズ・アタック!』『チャーリーとチョコレート工場』等を観るに、祖父母は主人公を助けてくれる善き理解者として描かれてきたのです。

ビッグ・フィッシュ』で使った父との和解の鍵が、今回の映画では使えないのです。どうやら“お爺ちゃん大好き!父ちゃん大嫌い!”が再発してきたご様子です。

ところで手前は当初、エバ・グリーン演じるミス・ペレグリンを悪役だと思っていました。笑顔でも顔が怖い。・・・あ、冗談ですよ冗談。とはいえ、語り手によっては悪役として描かれることも多い人物造形をしています。

“不思議な力を持った子供たちを世間から、そしてもっと恐ろしい者から守るため、時間の流れから切り離された保護施設を作り、全く同じ一日を何年も繰り返している。”この設定、描き手によっては悪役の思想とされかねないものです。現に、ミス・ペレグリンは子供たちを守るためには殺人をも辞さないことが示唆されており、さらには秒単位で子供たちの生活を規定しているようです。これはもう、結構な割合で悪役の取る行動です。

パンフレットを読んで気が付いたのですが、ヒロインの見た目は十代半ばですが、時間の流れから切り離された屋敷で暮らしているため、過ごした日数でカウントすると百十二歳だそうです。つまり、ヒロインはお前らの語彙で言うところのロリBBAなのです。

バートン監督の映画において、ヒロインはどのような人物であったか?孤立する主人公の才能を理解し、常に見守っている優しいヒロイン、母親的な側面を持つキャラクターでした。『スリーピー・ホロウ』では、明らかに主人公はヒロインと母を重ねています。自分が父の年代になったとき、母親的側面を持つヒロインはどのような背景を持つ人物となるのか?答え:祖父と恋仲にあったロリBBA(112歳)

業が深いですね。

冗談はさておき、共に成長して来た仲間、ジョニー・デップヘレナ・ボナム・カーターダニー・エルフマンと距離を置いて新たなスタートを切ったこの映画で何を語ったか。

“こんな分からず屋の両親大嫌い!不思議な仲間たちと時間の流れない世界で暮らすんだい!”。以前、バートン監督こんな感じの映画を作っていませんでしたっけ?

そう、初期作品『ビートルジュース』です。出世作のラストに立ち返った、むしろさらに闇が深くなった物語となっていました。

ですから、ループしてます。ループしているんです、監督が。ティム・バートン監督の映画は共通のモチーフが繰り返し使われておりまして・・・、