非モテVSぼっち『ゴーストバスターズ(2016)』
冗談はさておき観て参りました『ゴーストバスターズ』、80年代に大ヒットした同名映画のリメイクで御座います。リメイク元の映画はポップカルチャー史に大きな足跡を残しており、映画やゲーム、テレビドラマにコマーシャル映像にまでデザインが引用されてきました。例えばゲームでは『ルイージマンション』や『妖怪ウォッチ』にもその影響が確認できます。ギャグのパターンとシリーズの構成が同じことから容易に推測出来るのですが、映画『メン・イン・ブラック』シリーズは『ゴーストバスターズ』がなければ誕生しなかったことでしょう。
さてリメイク版の『ゴーストバスターズ』の物語の大筋は“益体のない研究をしていた学者が大学を追い出され、幽霊を退治するチーム「ゴーストバスターズ」を結成。やがてニューヨークを揺るがす大事件に遭遇する。”というもので、大まかにリメイク元と本作で共通しております。しかし、細かいところでは違いが見られるのです。そして、細かな差異が積み重なっていった結果、全体的な印象は随分異なるものとなっておりました。
まず、リメイク版の主人公たちにはあまり心理的な余裕がございません。他人からの批判にいちいちカリカリしてらっしゃいます。次に、リメイク版の主人公達はあくまで研究者であり、起業家では御座いません。これらの違いは、主人公を女性に置き換えたから生じたものではない、かつ80年代と比べて社会に大らかさが無くなったからでもない、と手前は考えております。
では、リメイク元と本作の違いは何に起因しているのか?考えますに、主人公と悪役の対比を強調しているためである、というのが手前の仮説で御座います。
旧作の悪役と比較すると、主人公と悪役の対比はより明確になります。旧作のラスボスを思いだしてくださいませ。幾つもの文明を滅ぼしてきた破壊神ゴーザとの戦いがクライマックスであり、主人公と直接的な接点のない自然災害のような・・・超自然の存在ですからえーと、・・・超自然災害のような破壊の化身が悪役でした。
しかしリメイク版の悪役は主人公と同じ知識を共有し、同等の技術、互角の能力、類似した境遇という、きわめて強固な因縁のある人物で御座います。このようなキャラクターを悪役に据えた場合、主人公サイドの遭遇する困難と悪役の抱えている鬱屈を重ね合わせることで、両者が鏡合わせの存在であることを印象づけるのが定石です。本作の主人公も悪役も、周囲の態度に対して今にも不平不満が爆発しそうな姿勢を表すことで、類似性をより一層強調しております。
もちろん、旧作でも本作でも「ゴーストバスターズ」は、世間に認められなかったはみ出し者の大逆転物語、という側面が御座います。そのためには、ある程度主人公が人生の敗者であることを強調することは止むを得ないことでしょう。ただ、その負け犬描写が旧作では金銭的な見通しの甘さを嘆く程度に留まるのに対し、本作では周囲の批判に対する不平不満を中心に描き出すものとなっております。
敗者復活戦物語であることは、旧作もリメイクも一応共通しています。しかし、主人公達の逆転に重きを置くかどうか、ここに差が生じています。本作で重点を置いているのは、あくまで主人公と悪役の対比なのです。
ギャグの描き方:勿体ない精神がギャグを潰す
旧作も本作もジャンルとしてはコメディホラーなのですが、ギャグの扱いが大分異なります。雰囲気的なことなので説明が難しいのですが、旧作の登場人物は変人であることに無自覚であるように描かれていました。例外は、ビル・マーレイが権力に楯突くときです。この時だけは、登場人物が自発的に“変なことを言ってやろう”という意図を発しています。
旧作も本作もジャンルとしてはコメディホラーなのですが、ギャグの扱いが大分異なります。雰囲気的なことなので説明が難しいのですが、旧作の登場人物は変人であることに無自覚であるように描かれていました。例外は、ビル・マーレイが権力に楯突くときです。この時だけは、登場人物が自発的に“変なことを言ってやろう”という意図を発しています。
それ以外の場合は、例えばハロルド・ライミスだけ罵倒語がやたらと難解だとか、事ある毎に厄介事を丸投げするビル・マーレイだとか、「おまえは鍵の神か?」の繰り返しギャグとか、本人は真面目だが周囲から見ると状況にそぐわなくて滑稽、という場面が多く御座いました。
一方、本作では登場人物が滑稽なことをしていることを自覚しているかのように撮られています。分かり易くするためか、ギャグが説明的なのです。映画のパロディ場面に、あるいはカメオ出演者登場場面で特に顕著です。
例えば、悪役が空を飛ぶ場面。右手を腰に当て左手は斜め上方を指さし顔は真横を向く独特のポーズをとるのですが、わざわざ『ピーターパン』の物真似であることを説明してから飛び始めるのです。あるいは、『リンカーン 秘密の書』に登場するリンカーン大統領の動きを完コピするゴーストが登場する場面。わざわざ台詞でリンカーン大統領であることを説明しています。
パロディや内輪ネタは、クリス・ヘムズワースの言う「実はそうなんだ。」くらいに抑えておけば宜しいのに、と思ったものです。(念のために御説明いたしますと、この台詞はヘムズワース氏が『アベンジャーズ』シリーズで雷神ソーを演じていることに基づく内輪ギャグなのです。)
あるいはカメオ出演者の撮り方についても同様のことを申し上げることが出来ます。手前、普通はカメオ出演というのはもう少し目立たないように登場させるものだと思っておりましたが、本作では違いました。まるで、ここに旧作のキャストがカメオ出演してますよと太字強調しているが如く、タクシー運転手や親戚の伯父といった小さな役であってもスクリーンに大きく映されるのです。これもちょっとクドく感じました。
“旬のコメディアンが面白いことを言ったのだから、この場面は強調しておかないと勿体ない!”“旧作のキャストが出演してくれたんだから、もっと目立たせないとサービス不足だ!”と考えたことは想像に難くありませんが、却ってギャグを潰してしまっている気が致します。
とはいえ、カメオ出演者の正しい使い方をしている場面も御座いました。
近年では『宇宙人ポール』『キャビン』で終盤の出オチ担当となっている、シガニー・ウィーバーが本作でも終盤の出オチを担当しています。
一方で、もっと強調しておかないと勿体ない箇所が、あまり取り上げられていないことを残念に思っております。
皆様もこういうことを仰る懐古厨に遭遇したことがあるはずです。“80年代のSFは特撮に作り手の工夫があって良かったんだよね。最近は全部CGで作れちゃうから驚けなくってさあ。いやー、本当に最近の映画ファンって職人の工夫を見る機会が無くなっちゃってカワイソー”とかなんとか。
アナタの身近にそういう偏見野郎がいたら、その輩に「ゴーストバスターズ」を見せてやって下さい。その上でなお上記のようなことを言い出したら、ドヤ顔でこう伝えてやるのです。“あのゴースト、CGに見えるけど実際に人が演じてるんだって!”
パンフレットを読んで驚いたのですが、冒頭のガートルード家の幽霊と地下鉄の幽霊は、フルCGに見えるのですが実は何と!俳優が演じているのです。LEDの光を通すように衣装を紙ヤスリで薄く薄く削り、質量を失ったかのように見せるため衣装の内側にはファンを仕掛けて波打たせ、仕上げにCGエフェクトを加えたとのこと。
つまり、往年の特撮手法の正統進化系なのです、この映画。
留意事項:ギャグの多くがシモネタです
長々と話して参りましたがこの映画、旧作と大きく異なる箇所が御座います。それは、ギャグの多くが下ネタだってことです。年齢制限がかけられていないからと家族連れで劇場に向かわれますと、気まずい思いをするかもしれません。
長々と話して参りましたがこの映画、旧作と大きく異なる箇所が御座います。それは、ギャグの多くが下ネタだってことです。年齢制限がかけられていないからと家族連れで劇場に向かわれますと、気まずい思いをするかもしれません。
当たり障りのないレベルのものを申し上げますと、そうですね・・・。
例えば、ゴジラとかガメラとかそんな感じのビルより大きな怪物に出会った場合、皆さんはどう戦いますか?相手の体の大きさが逆にハンデとなるように、足首や膝を狙うというのが古くからの物語のパターンですよね。あるいは、オデュッセイアとサイクロプスの戦いのように、目を狙うってのも有りそうです。しかし、今回の「ゴーストバスターズ」ではそんなお上品な戦い方はしないのです。股間を狙うんです。
そういう映画でしたので、知り合いやご家族と連れだって観に行く際はくれぐれもご注意下さいませ。