無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

悪役がジョブズ『くもりときどきミートボール2 フード・アニマル誕生の秘密』

悪役がジョブズ、どこからどう見てもスティーブ・ジョブズ。黒のタートルネックシャツにジーンズ、スニーカーを履き上着はハイテク化繊素材のベスト、首から情報端末らしきものを下げている。若い頃にガレージで起業した実業家で、派手なプレゼンテーションを用いて衆目を集めるのが得意なカリスマ経営者。インド思想にかぶれており、考え事をするときは合掌したまま歩き回る癖があるハゲ。頭は良いが冴えない容姿の部下を自分の引き立て役として引き連れている。これはもう、言い訳のしようがないくらいスティーブ・ジョブズ

このアニメを作った人たちはずいぶん勇気があります。スティーブ・ジョブズと言えば、かのピクサーの設立にも関わっている人ですから、現在のCGアニメ業界の大立者です。日本で言うなれば、「漫画家を目指す少年を主人公とした漫画で手塚○虫を悪役として登場させる」とか「映画監督を目指す若者を主人公とした映画の悪役が×澤明」くらいの危険なネタでしょう。

部下の提案にダメ出しをして没にしておきながら丸パクり「僕のビジョンを具体化したものだから、僕の作品だ」と言い張って悪びれない、手柄を独り占めしたがる悪辣な事業主の側面が描かれています。まあ、この映画に登場しているのは、ジョブズ本人ではなくて、あくまでもチェスター・Vという名前のジョブズのそっくりさんなのですけどね。

とはいえ、スティーブ・ジョブズが人生の指針として目指した人物が、トーマス・エジソンであることから、批判はお門違いかもしれません。インド哲学にかぶれていた頃のジョブズが、「インド哲学の導師の言葉よりも、エジソンの業績の方が余程世界を変えてきた」と気付いて実業家を志したというエピソードがあります。

そもそもエジソンからして、実の所なかなか毀誉褒貶の激しい人物です。昔の実績を看板に才能のある若手をおびき寄せ、部下のアイデアを自分のプロデュース製品として世に出し、訴訟をちらつかせて脅しつつ、他人の手柄を横取りすることに余念がない人物、という顔もあったわけですから。ジョブズ氏が目標とするロールモデルの通りの自己実現を果たしたことについて、手前がとやかく言うことではございませんな。

映画についての話をいたしましょう。
1作目、『くもりときどきミートボール』を劇場で観たとき、手前は大変な衝撃を受けたのです。あの時の衝撃は何だったのか、つらつら考えてみますに、見終わったときの手応え・・・それとも脳応え?は『ジュラシック・パーク』を初めて観たときの感覚に似たものであることに気付いたのです。

ジュラシック・パーク』は、災害映画のサブジャンルである動物パニック映画のバリエーションであります。特にこのジャンルの可能性を押し広げた作家を一人挙げるとすると、それはやはり『ジョーズ』のスティーブン・スピルバーグ監督でしょう。

動物パニック映画はしばしば、災害映画と同じ人物配置を構成します。例えば、主人公の警告を無視して被害を拡大してしまう市長、危機を警告するも結局被害を防ぐことは出来ない科学者、最初は悲鳴を上げて逃げ回るだけだったのが中盤以降ジャーナリストとしての使命に目覚めるレポーター、善戦するものの途中で離脱するハンター、主人公の足を引っ張りつつ行動の動機を与える子役、ひどい目に遭うコメディリリーフの子守、そしてシェリー・ウィンタース。これらの人物配置を入れ替えたり人数を増減させたりすると、災害パニック映画も動物パニック映画も大体カバーできます。

ジュラシック・パーク』に登場するバイオ企業の経営者ジョン・ハモンド氏は、『ジョーズ』における市長の役割を持った人物です。何でしたら、『殺人魚フライングキラー』のホテル支配人でも宜しい。“テーマパークの開業が近いから”“海水浴シーズンにパニックは避けたい”などなんやかんやと理由を付けて被害を拡大するのが、この人達の物語上の役割です。

あるいは、先ほど申し上げましたように、パニック映画にはお約束としてシェリー・ウィンタース役のキャラクターが登場するのです。『ポセイドン・アドベンチャー』に登場するキャラクターにちなんでこう呼ばれているのですが、要するに主人公一行が絶体絶命のピンチに陥ったとき、それまで目立たなかった登場人物が、丁度都合良くその場を乗り切るための特殊スキルを持っている、というアレです。「若い頃はサーカスで綱渡りをやっていた」とか「実家が自動車の整備工場なんです」とか、まあそんな感じの役です。

ジュラシック・パーク』もまた、動物パニックのお約束を踏まえながら、登場するのが普通の動物ではなく恐竜、というのを映像の力業で納得させてしまう映画でした。

映画『ジュラシック・パーク』が名作として周知されているから意識に上ることが有りませんが、よくよく考えてみますに“恐竜が動物園から脱走するパニック映画”なんて、余程力を入れて作らないと、バカバカしくて見ていられない映画になる危険もあったはずです。

くもりときどきミートボール』もまた然り、災害パニック映画のお約束を踏まえながら、起きる災害が“空から巨大な食べ物が降ってくる”という無茶を、力業でやってのけています。DVDの音声解説を確認すれば明白なことに、登場人物の配置について作り手は自覚的に災害映画のお約束を踏まえているのです。

くもりときどきミートボール』では、ディザスター映画以外にも様々な映画からの引用があるのです。『スター・ウォーズ』のデススター上での空中戦を食べ物で再現する(ミレニアム・ファルコン号がピザを基にデザインされている事を知っていれば、笑い所が増すでしょう)、あるいは『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』を再現する、『トワイライトゾーン 超次元の体験』の中の一編『二万フィートの戦慄』からの引用があり、『エイリアン2』のパロディもあります。

これらの元ネタとなった映画の監督の名前を挙げてみましょう。ジョージ・ルーカススティーブン・スピルバーグジョージ・ミラージェームズ・キャメロン。いずれも、それまで低予算が当たり前だったSFやホラー映画に本気で取り組み、やがて超大作としての風格を与えてみせた監督達ではありませんか。

ゲテモノあるいは二級三級品として扱われていたジャンルが、ある時期を境に脚光を浴び始めるという現象が映画史では何度か観察できます。かつてB級映画とされてきたジャンルを映画のメインストリームに押し上げてきた先人達への敬意が感じられる映画でした。

くもりときどきミートボール』は、『ジュラシック・パーク』と同じく災害パニック映画の構造を持っているわけですが、続編はどうでしょう。

驚いたことに、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(以下、『ジュラシック・パーク2』と呼称)と同じ構造だったのです。『ジュラシック・パーク2』は、秘境探検映画のバリエーションです。コナン・ドイルの『失われた世界』のように、人跡未踏の地に足を踏み入れたら、そこには独自の生態系(と危険なモンスター)が根付いていたのだ!というのが秘境探検映画のパターンですね。

この場合、断崖絶壁やら特殊な天候あるいは海流やらで近寄れないというのがお約束です。しかし、交通手段が発達しあるいは衛星から地表を観測できるようになっている現代においては、人跡未踏の地にリアリティを持たせるのが難しくなったと言わざるを得ないでしょう。

現代を舞台に探検物語を語る場合の変奏曲として、何らかの理由、例えば危険な実験の失敗や災害が原因で、誰も近寄ることが出来なくなった土地を設定するというものがあります。つまり、独自の生態系(と危険なモンスター)が生息出来る禁足地を新たに作り上げる物語パターンです。

ジュラシック・パーク2』は上記の構造であり、実験の失敗により人類が近寄れなくなってしまった島で恐竜が跋扈している、という現代を舞台にした秘境探検映画です。

そしてまた、『くもりときどきミートボール2 フード・アニマル誕生の秘密』(以下、『くもりときどきミートボール2』と呼称)もまた、危険な実験の失敗により人類が近寄れなくなってしまった島で、フードアニマルが跋扈している、という現代を舞台にした秘境探検映画です。

物語の進行も、一作目が動物パニック映画の構造を再現しつつ語りが進んでいったのに対し、続編は過去の探検映画のお約束を踏まえた展開となっています。

しかし、『くもりときどきミートボール2』と『ジュラシック・パーク2』の共通点はそれだけではないのです。終盤打ち出されるメッセージがちょっとどうかしている、という駄目な所まで、二重写しになっているのです。

ジュラシック・パーク2』では、檻に閉じこめられた恐竜を“可哀想だから”という理由で主人公サイドの面々が逃がし、その結果結構な人死にが出ます。

くもりときどきミートボール2』では、食べ物を組み合わせて作られた生物(茹でエビの腕を持つチンパンジー“シュリンパンジー”とか、食パンの羽を持つ蚊“モスキートースト”とか)を、食料にしようとする人物に対して、主人公サイドのキャラクターが「生き物を殺して食べるとは、なんて残酷なことをするんだ!」と怒り始めます。

作中で結構な数の人が、フードアニマルに殺されているんですよ、それでも「フード・アニマルの幸せは人間の命より重い」という価値観で話が進んでいくのです。

さらに、物語の結末で『ジュラシック・パーク2』『くもりときどきミートボール2』いずれも、危険な動物が徘徊し人間が近寄れなくなった島について、登場人物の打ち出すメッセージはこういうものです「この島を、人の手の触れない自然が豊かな恐竜達(あるいは、フード・アニマル達)の楽園にしよう」と、まさしく取って付けたような環境保護メッセージで幕を閉じるのです。

しかし、『ジュラシック・パーク』の恐竜達は、すでに絶滅した生物のDNAを基に、欠損部分は爬虫類や両生類の遺伝情報で補っているという、遺伝子プールに深刻なバイオハザードを起こしかねない、環境に対する脅威なわけですよね。同様に、『くもりときどきミートボール2』のフード・アニマルも、食べ物(時に調理済みのものを含む)を組み合わせて作られた生物という、相当に不自然な動物です。

にも関わらず、どちらもエコっぽいメッセージを入れて強引に終わるという、どうかしている映画なのです。

間違いなく、作り手は分かってやっているのです。少なくとも、『くもりときどきミートボール2』の方は判っていながらあえてやっているのです。何せ、『くもりときどきミートボール2』の劇中で登場人物のアウトドア活動時の服装が『ジュラシック・パーク』の再現になっているのですから。

ということで、作品の問題点や欠陥まで含めて再現するという、『くもりときどきミートボール』シリーズは『ジュラシック・パーク』に対する、世にも希なリスペクトに溢れた映画だったのです。