無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

全英チェスボクシング王者決定戦inライヘンバッハ「シャーロック・ホームズ:シャドウ・ゲーム」

1.ホームズ=ビクトリア朝ジェームズ・ボンド仮説
監督はガイ・リッチー、ホームズ役をロバート・ダウニーJr.、相棒のワトソンを演じるのはジュード・ロウ。アクション要素を強めた「シャーロック・ホームズ」シリーズの二作目となります「シャドウ・ゲーム」。正直、“ホームズはビクトリア朝におけるジェームズ・ボンドなのだ!”という解釈に基づいたコンセプトが、一作目の頃には手前にはあまりピンとこなかったのであります。少なくとも、ボンドじゃあないだろう、と。

ジェームズ・ボンドの物真似はアルセーヌ・ルパンあたりにやらせればよろしい。ルパンは毎回恋人が死にますし、冒険ものとしての要素もホームズより強い。ボンド役にはピッタリです。

そもそもホームズは、好き好んで世界の危機だの大規模な陰謀だの、世間の耳目を集める有名事件だのに首を突っ込むタイプではありません。あくまでメインは、地方地主の巻き込まれた不可解な事件、お忍びでやってきた有名人が持ち込む厄介な相談、ロンドンの町で起きた事件なのかどうかも判らない変な話、そういった金にも名誉にもならないが珍妙で解き甲斐がある謎に興味を惹かれる変人であって、頭の体操を常に求めている道楽探偵であったはずです。

一作目の悪役もどうにもいただけません。世界征服を企む秘密結社のボス、ブラックウッド卿が敵役でした。こいつの行動と目的が、論理的な直線で結べないのです。政財界に影響力を持つオカルト秘密結社の首領が、わざわざ正体を現して政治権力を握ろうとするのは、自らアドバンテージを捨てているのに等しいものです。ごく少数の有力者をカリスマと恐怖でしっかりと縛り付けていた方が、正面切って世界征服を企むよりよほど費用対効果に優れており低リスクで、事業の開拓余地も大きいものです。

ブラックウッド卿の計画は子供向け番組の悪役連中によくある、“事件を起こしその混乱に乗じて世界を征服するのだ!!”系の作戦であって、混乱を起こすこととその後どのように世界を征服し維持するかのプランがつながっていないのです。秘密組織とホームズの戦いを描いてボンドっぽくしたかったから、という以上の必然性のない、映画オリジナルとして登場させるにはいささか無理のある悪役造形だったように思えます。

2.対ホームズ戦特化型数学教授ジェームズ・モリアーティ
しかし、二作目「シャドウ・ゲーム」の悪役はかの有名なモリアーティ教授。コナン・ドイルの原作では当初ホームズの最終話になる予定だった「最後の事件」でホームズと対決した人物です。教授が悪役であれば、原作の世界観を維持しつつ、秘密結社首領とビクトリアン007の対決を描くことが出来るのです。何しろ教授は、ホームズ以外の誰にも気付かれずに、欧州全土に張り巡らされた犯罪ネットワークを築き上げた希代の犯罪王なのです。

ホームズ以外の誰にも気付かれずに、というのが原作の肝なのでしょう。人知れず難事件を解決している不世出の名探偵の業績をワトソンが紹介している、という設定が原作にリアリティをもたらす要素の一つだったと思えます。悪役がモリアーティ教授であれば、世界規模の陰謀とホームズとの対決を、原作の雰囲気を壊すことなく描けるはずです。

では、ビクトリアン007としてホームズを描くのにピッタリのモリアーティ教授を、一作目の悪役にしなかったのは何故か?

答えははっきりしておりまして、モリアーティ教授は、ホームズ原作の最終話に登場させるために作られたキャラクターだからです。最終回で対決すべき相手として造形されたキャラクターを、一作目でいきなりメインの悪役として登場させるわけにはいかないでしょう。

犯罪王モリアーティ教授はホームズ最終エピソードに特化したキャラクターであります。そのため、あらゆる要素がホームズと鏡像関係となっています。まず、頭脳がシャーロック・ホームズと互角。ホームズが探偵であり、モリアーティは犯罪王。相棒も鏡像です。ホームズの助手は軍医ワトソン。モリアーティの部下の筆頭が、モラン大佐。どちらも、アフガン帰りの元軍人を右腕としています。さらに、ネーミングからも対になっていることが窺えます。ジェームズ・モリアーティとセバスチャン・モラン。ファーストネームの頭文字がJ&S。一方探偵チームは、シャーロック・ホームズジョン・ワトソン。頭文字がS&J。何もかもが対になっているのです。

3.「あの技は、まさか・・・」「知っているのか!ホームズ!」

チェスボクシング(ちぇす・ぼくしんぐ)
チェスとボクシングの試合が交互に進行する格闘技。頭脳のボクシングと呼ばれるチェスと、肉体のチェスに例えられるボクシングを組み合わせたスポーツである。勝敗はチェックメイト、ノックアウト、チェスの時間切れによって決する。フランスのコミック作家エンキ・ビラルが創作した架空の(はずだった)格闘技。後に現実に試合が行われており、架空の競技ではなくなっている。

原作ではモリアーティではホームズに勝てない箇所がございます。それは身体能力なのであります。原作のホームズは、身体能力も相当に高く、鉄の火かき棒を易々と曲げてしまうくらいの筋力があり、日本の格闘技”バリツ”の心得もあるのです。原作でホームズがモリアーティに勝てたのも、この身体能力の差によるものであります。

ちなみに、この”バリツ”なる格闘技が何物であるか、シャーロキアンの間では議論となっております。”ブジュツ”の綴り間違いであるとする説、日本で柔道を習ったバートン氏が興した護身術”バーティツ”のことであるとする説などがございます。

いずれにせよ、高い身体能力という奥の手を残していたため、原作では対モリアーティ戦に勝てたわけです。しかし、映画では一作目でホームズはビクトリア朝ジェームズ・ボンドであり、格闘技にずば抜けた才能を持っていることを明かしています。したがって、格闘でモリアーティに勝っても、何の意外性もないのです。この難題をどのように解決するのか?

「シャドウ・ゲーム」では、映画オリジナルの設定として、”モリアーティは学生時代にボクシング部の主将だった”という後出しジャンケンな背景を組み込んで、ホームズと身体的にも五分に渡り合えるようにしていました。

ガイ・リッチー版では、優れた推理力を活かしたホームズの脳内戦闘シミュレーションが描かれてきました。相手の動き方の癖・体調・負傷箇所などを読みとり、次に起こる事象を先読みして戦う一連のアクションが、スローモーションとカットバックで構成されるホームズの脳内映像でまず描かれ、寸分違わぬ動作を現実に行う描写が2度目にあるという、個性的な演出がなされています。

で、「シャドウ・ゲーム」のホームズVSモリアーティの決戦の場は、原作と同じライヘンバッハの滝。チェスの一局が終わる前に両者席を立って向かい合い、相手の次の行動を読み有ってからアクションシークエンスの開始。モリアーティ教授はホームズと同等の能力を持っているため、ホームズの行動をさらに先読みし、脳内の戦闘シミュレーションに“割り込んで”勝敗を書き換えていく、何やら特殊能力バトルの様相を呈してきます。

5.ホームズ=ビクトリア時代ジェームズ・ボンド仮説の展開
冗談はさておき、ビクトリアン007としてのホームズについて、話題を戻しましょう。ガイ・リッチー版の1作目「シャーロック・ホームズ」のコンセプトは、ホームズを19世紀のジェームズ・ボンドとして描くことだったと述べられていますが、その試みは必ずしも成功していなかったように思います。

しかし、ガイ・リッチー監督が先鞭を付けたホームズ=ボンド仮説は、二作目「シャドウ・ゲーム」を経て、確実に世に浸透しつつあります。

例えば、一作目で悪役のブラックウッド卿を演じたマーク・ストロングは「007」シリーズの次回での悪役を希望しています。
ガイ・リッチー監督は、その後「0011ナポレオン・ソロ」のリメイク「コードネーム:U.N.C.L.E」の監督に就いています。ちなみに、リメイク元の「ナポレオン・ソロ」は、丁度スパイ映画が隆盛を誇っていた頃の60年代に作られたテレビシリーズで、CIAとKGBのスパイがコンビを組むというアクションドラマ。主人公サイドの組織U.N.C.L.Eと悪役の犯罪結社T.H.R.U.S.H、どちらも「S.P.E.C.T.R.E」並に無理矢理な略称であり、主人公サイドのメンバーには00始まりの番号が与えられているというあたり、明らかにボンドシリーズの影響下にあることが見て取れます。
6代目ジェームズ・ボンド俳優ダニエル・クレイグ主演の「カウボーイVSエイリアン」についても、この映画は企画段階では、ロバート・ダウニーJr主演の予定だったのであります。

近年の映像作品におけるホームズとボンドについては、主役・悪役・監督といった要素が重なりつつあることがわかります。

また、ガイ・リッチー版ホームズよりも前の作品で、「リーグ・オブ・レジェンド」の原作、アラン・ムーアによる「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」においては、ジェームズ・ボンドの先祖とホームズ家に因縁があることが描かれていました。

そういえば、元ボンド俳優だった、ロジャー・ムーアがホームズを演じていたこともあったような、そんな気がします。

このように、ホームズ=ジェームズ・ボンド仮説は着実にその勢力を伸ばしているのであります。

6.、どうしてボンドは女好きなのにホームズがぼっちなのは何故?
しかし、「シャーロック・ホームズ」及び「シャドウ・ゲーム」において原作から取り出された要素は、スパイ活劇としてのホームズだけではありません。

シャーロック・ホームズ」パンフレットにも示されている、ホームズ=ボンド仮説と並ぶ要素があるのです。それは、ホームズ=やおい仮説。

この話題については、「シャドウ・ゲーム」でも描かれていましたが、最近映画館で上映された「SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁」から読み解く方が話が早いように思えます。