無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

市民ケーンと007、両方のモデルになった大富豪 その2

前回は、オーソン・ウェルズの映画に登場する新聞王ケーンの生涯について、モデルとなった実在の新聞王ハーストそっくりに作られている、と話しました。本日は、映画と実在の新聞王の人生で異なっているところから話を始めましょう。

新聞王ケーンが愛人を舞台女優にしようとしていたのに対して、ハースト氏は愛人を映画女優にしようとしていた部分で異なっています。

なぜ異なっているのか考えますに、オーソン・ウェルズのキャリアはもともと映画ではなく演劇から始まっていたため、と推測できます。
そして、『市民ケーン』にさまざまな映画の技法が盛り込まれているのもおそらくは、演劇ではできないカメラの移動を試してみたかったからである。画面のすべてに焦点があっているパン・フォーカスを導入したのは、場面の中心に映っている人物以外のものにも意味を持たせる演劇の方法論を映画に導入するためである、と手前愚考いたしました次第。

舞台女優と映画女優の違いはありますが、いずれにせよケーンと同じくハースト氏は愛人を女優にしようと様々な工作をしたそうです。そのためには単なる財力以上の何か、要するにコネ、が必要になるでしょう。では、どのようにして彼はハリウッドで人脈を築いたのでしょう。

当時のアメリカは、禁酒法が成立するほどプロテスタント右派の勢力が強く、ちょっとしたスキャンダルでもスターにとって命取りとなりうるほど、社会のモラルが厳しかった時期です。

幸いなことに(?)同氏は数多くの新聞社を所有する新聞王です。映画界の大物たちから醜聞のもみ消しを頼まれたことは想像に難くありません。ハリウッドは彼に居場所を提供し、彼は事件を握り潰す。持ちつ持たれつの関係が出来上がります。

彼が関わった(あるいは関わらざるを得なかった)、有名な事件を二つ挙げるとすると、一つは市民ケーン』に対する妨害、もう一つはトマス・インス監督の怪死が浮かびます。

トマス・インス監督は “西部劇の父”とも呼ばれたハリウッド黎明期の大物で、日本人俳優早川雪州をハリウッドに招いたなど興味深いエピソードのある人物です。

ハースト氏主宰の船上パーティーの直後に、インス監督は突然心臓麻痺を起こして死亡しています。
現場がハースト氏所有の船の上だったこと以外にも、インス監督は同氏の映画に協力するよう頼まれていた、インス監督には公になっていない醜聞があった(←覗きが趣味だったらしい)、監督の遺族にハースト氏が資金提供を行った、など複雑な背景がありました。そのため、実は他殺だったとか、新聞王が報道を操作して犯罪を隠蔽した、などの噂が今日に至るまで消えることなく流れています。

ちなみに、インス監督他殺説を下敷きに作られた映画ブロンドと柩の謎が2001年に公開されています。この映画によれば、事件には新聞王だけでなく喜劇王チャップリンも関わっていたそうです。

死後50年以上の時を経てなお、映画界の闇に君臨した黒幕として話題に上る大富豪、実にキャラが立っています

しかし、007シリーズの悪役のモデルになるには、映画界という虚飾の世界での大物にとどまっているだけでは不十分でしょう。
さらにもう一押し、現実の世界でもとんでもない大事件を起こさなければなりません。
次回はその話をいたしましょう。

続く。

前回の記事はこちら!
市民ケーンと007、両方のモデルになった大富豪
http://blogs.yahoo.co.jp/tokuni_imiha_nai/28052911.html