無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

贋の神と二世の髪「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」

今回の映画でもレックス・ルーサーの頭はフサフサです。それには物語構造上の論理的な理由があると手前考えております。

ご存じの方も多いでしょうが、原作コミックのルーサー氏は、客観的かつ穏当な表現で申し上げまして、頭髪がありません。

リチャード・ドナー版の映画スーパーマンでは、どうだったでしょうか。
丁度クラーク・ケントが眼鏡を外してスーパーマンという真の姿を顕すがごとく、自分こそが世界一の悪党であると宣言するラストで、ルーサーは頭を覆っていたものを自ら外すわけです。つまり、物語上の意味があってヅラを被っていたのです。

しかし、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」において、同氏の頭部は地毛です。何故なのか?これにも、物語構造上の理由があるのです。

その前に、まずはスーパーマンの宿敵のあり方について述べておく必要が御座いましょう。
アナタのお近くのアメコミ読者を一人引っ張ってきて、「スーパーマン最大の宿敵は誰だと思う?」と聞いてみてください。大抵の場合、2人の名前が挙がります。そのうちの一人がレックス・ルーサーです。

次に質問の仕方を変えて、「スーパーマン最大の宿敵がレックス・ルーサーだと仮定すると、スーパーマンを倒す可能性があるのは誰だと思う?」と聞いてみてください。かなりの確率で、バットマンという答えが返ってくるはずです。ここ2~30年程、スーパーマンを倒しうるのはレックス・ルーサーではなく、バットマンだというのが有力説となっています。

もっとも、00年代後半からはルーサー君も健闘しておりまして、スーパーマンを倒しうる可能性について真剣に議論されつつあります。この話は長くなりますので、いずれ日を改めて。

さらに続けて、「スーパーマン最大の宿敵がレックス・ルーサー、倒す可能性があるのがバットマンだと仮定して、スーパーマンを殺せるのは誰だと思う?」と聞いてみると、また別の名前が挙がるはずです。誰だっけあの、黙示録だか最後の審判だか、Dr.ドゥームみたいな名前の奴。

話が脱線しました。手前がまず申し上げておきたいこととしては、スーパーマンの宿敵として、アメコミ読者の間ではバットマンが筆頭クラスに挙げられている、ということであります。

元々スーパーマンというのは宿敵の多いお方です。主人公と対になる能力の持ち主だけでも、スーパーマンのクローンで同等の能力を持ちながら価値観が逆転しているビザロ(ご丁寧に胸のマークも逆S字)とか、出身地が同じクリプトン星で職業軍人の(つまり戦闘ならスーパーマンより強い)ゾッド将軍と、代表的な人物だけでも二人います。平行宇宙から来たもう一人のスーパーマン(悪人)にいたっては、複数存在しております。

弱点攻撃特化型を挙げるならば、スーパーマンの能力を失わせる鉱石クリプトナイトを動力にしているサイボーグのメタロ、触れた物をクリプトナイトに変化させるクリプトナイトマン。ここまで弱点攻撃に特化しているといっそ清々しいものです。

ピーキーな能力に注目するなら、レックス・ルーサーよりも頭が良いのがアピールポイントの人工知能ブレイニアック、こいつはどうしようもないぐらいマジ強いけどどうすんだというキャラクター、Mr.ミクシィズピトルクetc.

しかし、彼ら有象無象を押さえるだけの実力のある宿敵はやはり、レックス・ルーサーバットマンの二人なのです。

アンブレイカブル」でサミュエル・L・ジャクソンが演じるコミックオタクの男が述べているように、宿敵のあり方として、主人公と対称の存在という他にも重要なポイントがあります。ヒーローとその宿敵は、しばしば何らかの強い絆で結ばれた人物として登場し、何らかの理由で進む道が分かれ、生涯にわたって対立しあうようになる。例えば宿敵が親子や兄弟のような血縁者であったり、あるいは親友であったり、またはかつての師匠と弟子であったりする。そういう物語は昔から数多くあるわけです。

宿敵としての属性からいくと、レックス・ルーサーよりバットマンの方が鏡像としての性質が強く出ており、さらに親友同氏であります。子供の頃同じ町内に住んでいた(らしい)レックス・ルーサーより、バットマンの方がより物語が盛り上がる宿敵になる資格があるのです。

バットマンとスーパーマンのどこが鏡像なのか、ですって?それはとても良い質問です。

例えば、悪役が合法的民主的に権力を握る展開があったとしましょう。実際、レックス・ルーサーDCコミックスの世界では何度かアメリカ大統領に当選していますし、そういった展開は過去に一度や二度ではありません。悪役が、「スーパーマンは存在自体が大量破壊兵器だ!」などのキャッチコピーとともに世論を味方に付け、スーパーヒーローの活動を規制する政治活動を展開したとします、仮に。

スーパーマンならどうするか?
とにかく頑張るのです。悩みながらも必死で人助けを続けて、人々から石を投げられながらも、とにかく生真面目に出来る限りの善行を積むのです。やがて少しずつ人々の心を動かし、スーパーマンへの妨害が思うように進まず焦った悪役が馬脚を現したところで直接対決に入る。・・・というのが、ありそうな展開です。

バットマンならどうするか?
悪役を支持している有力者を盗聴してスキャンダルを掴み失脚させ、資金を提供している団体を買収し、悪役に賛同する人が暴漢に襲われても“助けない”“わざと遅れて到着する”、といった中々に卑怯な手をあれこれ使って、裏工作で世論を味方に付けていく、というのがバットマンの定石です。

これはスーパーマンバットマンの超人性の違いによるものです。

スーパーマンの場合、言うまでもなく身体能力が超人です。銃弾を跳ね返し、超音速で空を飛び、顕微鏡以上の倍率で電波や磁場も視認でき、透視能力まで備えた眼。吐く息はあらゆる物を凍らせ、ヒートビジョンという飛び道具まで生来の能力として備えている。一方、精神については、自ら枷をはめて「人間」に踏みとどまっています。望めばあらゆる事を成し遂げる力を持っていながら、善き人間であり続けようとすること。これがスーパーマンの超人性の本質なのです。

バットマンの場合、身体能力は極限まで鍛え上げられてはいるものの、言うまでもなく生物的にはあくまで人間です。しかし、精神的にはスーパーマンとは異なる方向性を持った超人なのです。社会や道徳という人間の箍を外して、どんな汚い手を使ってでも必ず目的を達成すること。時として悪事に手を染めることがあっても、あらゆる手段を用いて不可能とされる難行に挑む意志の超人であること。これがスーパーマンの超人性の本質なのです。

以上のように、スーパーマンバットマンの超人としての本質は真逆のものとなっているのです。
では、対になっているスーパーマンバットマンの間に、レックス・ルーサーが割り込む余地があるのでしょうか?

そこでいよいよルーサーの頭髪の話です。

バットマンVSスーパーマン」では、複数のモチーフが取り入れられています。

一つは、信仰についての話題。キリスト教のモチーフがあちこちに登場しています。
崩れた建物の鉄骨が十字架に見えるように画面が構成されていたり、対スーパーマン用に作られた武器が、銃弾でも剣でもなく、槍の形をしていたり。キリスト教社会を揺るがした地動説、進化論についても触れられていました。

また、今回の映画のレックス・ルーサーは“神がどこまで人間に無関心か確かめるために悪逆の限りを尽くしてみる”キャラクターのバリエーションとして造形されているようです。

もう一つのモチーフは、「父親から受け継いだ生き方」です。
バットマンVSスーパーマン」のレックス・ルーサーは、レックスコープの創業社長ではありません。父が興した会社であり、父の名も自分と同じレックスだったと劇中で語っていました。
つまり、彼は二代目レックス・ルーサーなのです。

原作では、レックス・ルーサーが自分の死を偽装し、脳を若いクローン体に移し替えて別人になりすましていた展開がありました。その際、レックス・ルーサーの息子ルーサーⅡ世であると名乗っていたのです。このレックス・ルーサーのクローンが、「バットマンVSスーパーマン」のルーサーと同じく赤毛だったのです。(明確に赤毛というにはちょっと無理がありますが、赤見がかった金髪ってことで一つ。)

コミックでは、ルーサーは滅多に自分の父についての話をしませんし、父のファーストネームがレックスだったという設定も、今まで無かったように思います。
わざわざ、自分が二代目であると述べることによって、スーパーマンバットマンだけでなく、レックス・ルーサーもまた、父親から生き方について学び取ったことを強調しています。

スーパーマンは「人は何か役割があって生まれてくるのだ」という信念を父から教えられています。幼少の頃、父を目の前で強盗に殺されたバットマンは「人は何の意味もなく死ぬ」というトラウマを今も引きずっています。虐待されて育ったレックス・ルーサーもまた、父によって生き方に強い影響を受けた人物です。

三者三様の人生観が、それぞれ父親によって築かれたものであることが、劇中で描かれています。よって、バットマン&スーパーマンという鏡像に割り込むには、ルーサーⅡ世という設定がどうしても必要だった。故に今回ルーサーが赤毛なのには物語上の理由があるわけです。