無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

ゾンビとはお前らである 『ウォーム・ボディーズ』

1、物語の内容は「ロメロとジュリエット」
ゾンビが主人公の恋愛映画、『ウォーム・ボディーズ』観てきました。
登場人物の名前や場面などで所々「ロミオとジュリエット」を思わせる部分がありますが、この映画においては、むしろ「ロミオ」ではなく「ロメロ」の部分がメインテーマになっていると見受けました。
 
ゾンビが主人公の恋愛もの、などというニッチな映画を観に行こうとなさる見識の深い方々が、ご存じでないなどということはまさか御座いませんでしょうが、一応念のため確認。現在の映画に登場するゾンビ、「医学的にはすでに死んでおり、知能が低く、群れを作って行動し、人肉を食う。噛まれると感染する一種の伝染病である。」これらは、ジョージ・A・ロメロ監督による1968年の映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から始まるものであります。
 
呪いや悪霊などの原因で蘇った死体、オカルト的な背景を持ったゾンビと区別するため、ロメロ以降のゾンビをモダンゾンビと呼ぶこともあります。
 
ロメロ監督の作り上げたゾンビ像は、ゾンビの行動パターン以外に大きなもの、ゾンビに対する見方、いわばゾンビ観とも呼ぶべきものを後続の作家達に残しています。提示されたゾンビ観は、簡潔に述べますと以下のようになります。
「ゾンビとは何者であるか?それは生きている人間の姿そのものである。」
 
ウォーム・ボディーズ』は、幾分冗談めかしてこそいるものの、ジョージ・A・ロメロ監督が提示したゾンビ観に基づいた映画でした。
 
ロメロ監督の映画では、ゾンビは大量消費社会に生きる大衆のメタファーとして描かれていました。『ウォーム・ボディーズ』でも、生きた人間を歪めて映し出す鏡、人間性の欠落した人間を描くメタファーとして扱われています。では、この映画におけるゾンビは何を象徴しているのでしょうか?
 
2、ゾンビをメイクしてイケメンに改造する場面で流れる曲が「プリティ・ウーマン
 
映画の冒頭、自嘲気味のナレーションで自己紹介していく主人公の「R」、どういった人物なのか確認してみましょう。
「顔色が悪い」「猫背である」「動作が鈍い」「自分が何者なのか、良く思い出せない」「爪が汚い」「滅多に人と話さない」「あまり長い間話をしていないので言葉が出てこないくらいだ」「曖昧な受け答えが癖になっている」「童顔なのか老けているのか良くわからない年齢不詳顔」
 
この映画に登場するゾンビは、挙動不審の非モテ系キモメンの特徴を備えているわけです。つまり、ゾンビはお前らだったんですよ。
心の底では他人との繋がりを求めているが、心臓(=ハート)の動かし方を忘れてしまった人間、これがゾンビの姿なのです。
 
3、少し前だったら「ゾンビ男」とかいうタイトルになっていたかと思うとゾッとする
 
キャッチコピーが”世界一キュートなゾンビ男子”とか、”草食系ゾンビ”など、手前のような者にとっては渋谷の領域並みにハードルが高すぎるものばかりで、ちょっと近寄り難かったのです。
 
硬派なゾンビファンの皆様にも、本来こういう映画の主人公に共感できるはずのお前らの皆様にも、避けられてしまっているのではないか、と心配でなりません。
 
ここ十年程の映画でゾンビが”いくら殺しても心が痛まない敵、絶対的な他者”として安易に使い捨てされてきたことに我慢ならないゾンビファンのアナタ!
”ゾンビは他者じゃねえ、俺たちの姿であるべきだ”と近年のゾンビ映画に憤っているそこのアナタ!
小学生に指をさされ「ニフラムニフラム!」と叫ばれたそこのアナタ!
 
モダンゾンビの思想的末裔に当たる、喪男ゾンビ『ウォーム・ボディーズ』をお勧めいたします。
 
4、追記「挨拶に返事をしない奴はゾンビだ。返事をする奴は良く訓練されたゾンビだ。」
 
資料となる雑誌、確かスターログ日本版、が手元に無いので記憶が曖昧ですが、『28日後』の監督だったか脚本家だったか、どちらかが述べていたことがあります。
えーと確か、”もし文明が崩壊した後の世界で、生き残りが出会ったとして、「信じられない、私の他に生存者いたなんて!」と、大げさに感激することは無いと思う。むしろ、「えーと、こんにちは。はじめまして。」といった挨拶から始まるはず。そして、「こんにちは」さえも通じなくなってしまった時が世界の終わりなのだろう。”とまあ、そういう趣旨のことを述べていました。『28日後』では意図的に、挨拶が多用され、挨拶の通用しない相手としてのゾンビ(の、ようなもの)が扱われています。
 
ゾンビが表すものも、時代により変化していくことが見て取れます。
ロメロ監督の世代の掲げたテーマは、大量消費社会への抵抗というものでした。
一方、2000年代以降においては、他者との繋がりを持たない大衆の象徴としてゾンビが扱われる傾向が時折見られます。『ウォーム・ボディーズ』も、その流れの一つなのでしょう。