無駄口を叩いて渡る世間に鬼瓦

映画について、深読みしたり邪推したり。時折、映画以外の話をすることもあります。

「ライチ☆光クラブ」あるいはフランケンシュタインの隠し要素解釈

原作漫画がヴィレッジヴァンガードで平積みされているのをよく見かけます。漫画原作の映画が大流行中の昨今でも、中々見かけない納得の再現度。この画の人物を立体に起こしたら確かにこうなるだろうなという説得力のある実写化でした。
 
ヒロインを演じている中条あやみさんは、“十代半ばの同性だけの集団(←ココ重要)の中で手の届かない憧れの存在として扱われているが、その実態は生贄で囚われ人”“賛美歌または鎮魂歌を歌う”という役で、「劇場版 零 ゼロ」とほぼ同じキャラクターだったりします。
 
この映画は様々な切り口から語ることが出来るものです。第一にファシズムについての話である。また、独裁者が自滅していく話でもある。処刑の繰り返しによって崩壊していく組織という点は内ゲバの話でもあります。そういえば、監督は物語のモチーフとして、あさま山荘事件を挙げていました。
 
あるいは、中学生が殺し合いをするという面に注目するのであれば、「バトロワ」的でもあります。この物語の発するメッセージの主要対象者は、おそらく15歳以下である、・・・が残酷表現が多すぎてR15なのだ!というのも、ちょっとバトロワ的だと思ったり。演者は中学生には見えないから安心ですね、というのもますますもってバトロワ的です。
 
冗談はさておき、物語の出だしは大体以下の通り、
“幼少の頃に天啓を受けた少年ゼラ。汚れた大人達から町を奪取し、美しい物だけで作られた世界の支配者となることを決意する。同級生のタミヤが親友と立ち上げたグループ「光クラブ」を乗っ取り、廃工場を根城に秘密兵器ライチを作り上げるが・・・、”
 
さて、そもそもこの物語の中心人物は誰なのでしょう。
独裁者を志した少年ゼラに焦点を向けるか、仲良しグループがいつの間にか乗っ取られている事に気付いたタミヤを主人公と見るか、好意の向け方が噛み合わないジャイボとゼラの物語と読み解くか、それとも人造人間ライチに注目するか。物語の中心に据えるべき人物が複数存在しています。
 
ずいぶん昔のことになりますが、手前も幼少の頃に世界征服を志し、昼休みには「君主論」「遊撃戦論」を読む些かアレな中学生だったことがございます。ここは一つ、ゼラ君がどのような人物であったかじっくり考えてみるのも良いかもしれません。
 
しかしながら、映画の監督が都度都度インタビューで”多分ゼラも何がしたいのか本当は自分でも解っていないカラッポな人物なんだと思う”と述べていましたので、彼の内面を追いかけていっても徒労に終わる可能性があります。
 
ただ、気付いたことはございます。思うにゼラ君は自らのカリスマに頼りすぎていたのです。独裁者に最も必要な素質は、カリスマではございません。おそらく、独裁者というお仕事において何より大切なのは優しさなのです。身内に対するえこひいきと言っても良いでしょう。多数の人民からしっかりと収奪し、ごく少数の(しかし権力を維持するには十分な)支持者に手厚く配分することによってのみ、長期に渡る持続可能な権力の維持が可能なのです。したがって、暴君の半分は優しさで出来ているのです。
 
冷徹で他人を脅しつけることが巧いゼラ君の目指すべき支配者の類型として、手前はエドガー・フーバー型をご提案致します。このロールモデルの優れている点は、情報の非対称性(自分は知っているが、相手は自分が知っているのかどうかさえ判らない)を利用すれば、民主社会においても非民主的かつ非軍事的に権力を長期保持できることを示しているまさにその点にございます。
 
世界征服を志している若き皆様も、頭の片隅に留めておいてくださいませ。
 
別の人物にフォーカスを当ててみましょう。タイトルにもなっているキャラクター、人造人間のライチ。このキャラクターは明らかに「フランケンシュタイン」をモチーフにしています。
おっと、待ってくださいね。ただ単に“かわいそうな大男ロボット”だからというわけではございません。そもそも、「フランケンシュタイン」がどのような話かご存じの方がどれ程いらっしゃいますでしょうか?
 
おそらく、有名だが実際の所読んだ人が少ない小説選手権を開催した場合、「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」は上位に食い込む強豪となりましょう。
フランケンシュタインの名前さえも聞いたこともない方はいらっしゃいますでしょうか?聞いたこともないという方は手を挙げてもらえますか?皆さんご存じということでよろしいですね。
 
では伺いましょう、”フランケンシュタイン博士はどこの国の人でしょうか?”
 
“ドイツ人マッドサイエンティストの典型”“だって名前もドイツ系だし”
 
はい、残念。正解はスイス人、フランケンシュタイン博士の国籍はスイスなのです。
 
次の質問、何故博士は人造人間を作ろうとしたのでしょうか?
 
“兵器”“労働ロボット”
 
これまた残念。博士は、究極の人間を作ることを目的に人造人間の研究をしていたのです。優れた知性と高い道徳心を併せ持ち、老いることなく永遠に生き続ける力強い肉体を持った新人類を作りだそうとしたのです。フランケンシュタイン博士は醜い怪物ではなく、何もかもが完璧な美しい人間を作ろうとしたのです。
 
ところが、映像作品では醜い怪物として描かれています。原作でも言語を絶するほど醜悪と描写されています。設計は完璧、部品もばっちり。選りすぐりのパーツを用いて、何一つ欠点のない完璧な人間を作ろうとしたのにどこで間違えたのか、フランケンシュタイン博士は困惑します。
 
つまり、「フランケンシュタイン」は一種の寓話なのです。美しい部品の継ぎ接ぎで作られたものは、むしろとても醜く見えるのではないか?欠点も弱さもない人間というものは、かえって不気味で醜悪なものではないか?という問いを発する例え話なのです。
 
加えて、美しい部品だけで作られた完璧な存在をいざ動かしたところ、怪物になってしまったという話は、図らずもファシズムについての寓話とも受け取れるのです。弱いもの、不完全なもの、不健全なもの、醜いものを排除した社会が果たして、美しく完璧な社会であろうか?という例え話なのです。
 
ライチ☆光クラブ」は、美しい物だけで作られた社会を築こうとする独裁者と人造人間の話であります。故に、「フランケンシュタイン」が内包するファシズムに対する寓話という要素を取り出してきたものと判ります。
 
ちなみに質問です。様々な映画で描かれている継ぎ接ぎの怪物、ある時はボリス・カーロフが演じ、またある時はクリストファー・リーが演じ、ロバート・デ・ニーロが演じたこともあった人造人間、典型的にはしましま服の上にジャケットと揃いのズボンに大きな靴、頭に縫い目がありボルトが刺さっている、といった姿で描かれるこのキャラクターの名前は何でしょうか?
 
“フランケン”“フランケンシュタイン
 
どちらも違います。フランケンシュタインは、この人造人間を作った博士の名前です。答え、名前はありません。“名前のない怪物”なのです。
 
はい、今肩がピクッと動いたそこのアナタ!浦沢直樹の漫画の事を連想しましたね!
そうです、「MONSTER」も「フランケンシュタイン」からモチーフを採っています。解剖学ではなく心理学によって超人を作り出そうとした学者の話であり、同時に「フランケンシュタイン」から題材を採ったある有名な漫画からの引用もあります。
 
その漫画とは、手塚治虫の「鉄腕アトム」。一応訊いておきましょう、アトムを作った博士の名前はだーれだ?皆さんお茶の水博士と答えるんですが、違います。正解は天馬博士(ちなみに群馬大学出身)。「MONSTER」の主役、Dr.テンマと同姓なのです。
 
そもそも、「鉄腕アトムからして、フランケンシュタインのバリエーションなのです。アニメ版の第一話、アトムが起きあがる場面は、フランケンシュタインの怪物が手術台から起きあがる場面の明確な引用です。
 
天馬博士は何故アトムを作ったのか?それは、交通事故で死んだ息子トビオの代わりとしてつくったのです。今度は絶対に死なないように10万馬力その他過剰なまでの機能を搭載したのですが、やがて天馬博士はロボットであるアトムを死んだ息子の代わりと思えなくなり捨てているのです。完璧な人間として作られ、制作者が思い描いていた理想像と違っていたという理由で捨てられる人造人間の話、という点でも「鉄腕アトム」のスタート地点は「フランケンシュタイン」の引用です。
 
加えて、「鉄腕アトム」と並ぶ日本SF漫画の源流「鉄人28号」もまた、言うまでもなくフランケンシュタインの引用であります。故に、フランケンシュタインが解れば日本の漫画の大体半分くらいの見方が変わると思うのです。
 
さて、これまで述べてきたように、フランケンシュタインの物語には、表向き2つの要素があります。①ファシズムについての寓話としての要素②親の理想を一方的に押しつけられた子供の寓話としての要素
 
一般的にはあまり語られない方の要素についても、「ライチ☆光クラブ」では取り扱っている模様です。その件についてもお話致しましょう。
 
もしも仮に、アナタが道を外れた天才科学者で、なおかつ完璧な人間を作るための設計図を完成させたとしましょう。そのときアナタは、これから作る人造人間の性別設定をどっちにしようと考えますかね?
 
あー、その・・・つまりですなあ、完璧な人間を作り上げるレシピが手元にあったら、恋人とか伴侶とかまあそういったのを作ろうとするのが人情ってもんじゃないですかと思うんですよねえ。「Dr.スランプ」の則巻千兵衛博士しかり、「パワーパフ・ガールズ」のユートニウム教授も同様。
 
では何故、フランケンシュタイン博士は最初の人造人間として“男性型”を作ろうとしたのでしょうか。“聖書では神は最初の人間としてアダムを作ったから、それを模した”どうも根拠が弱い気がします。“作者のメアリー・シェリーが女性だから”多分それが正解なのでしょうが、面白くないのでその説は全力で無視します。さあ、博士が男性型人造人間を最初に作ったのは、何故だ?
 
という邪推が昔からありまして、「ロッキー・ホラー・ショー」「ゴッド・アンド・モンスター」などの映画は明らかにその話題から着想を得ています。このように、「フランケンシュタイン」の物語には③同性愛の要素が含まれている。という解釈も、一部でございます。
 
そう考えますと、原作でも怪物は直接博士に危害を加えるより、博士の周囲の人間を狙っていることの方が多いようです。怪物は創造者であるフランケンシュタイン博士に、愛憎入り交じった複雑な感情を抱いていることは確かです。このことから、④一方的に理想を押しつけられ、挙げ句捨てられた恋人がストーカーになる話、という解釈も可能です。
 
ライチ☆光クラブ」では、いわばこの「フランケンシュタイン」の裏テーマにも踏み込んでいます。多分、ストーカーとしての怪物の要素は、ジャイボに取り入れられているのではないかと思うのです。
 
以上のことから、この映画を見るようオススメ出来る対象者は明確でございます。
詰め襟制服男子による愛憎劇のドロドロ(臓物と体液のドロドロ含む)がたいそうお好みのそこのアナタ!この映画はアナタのためのものです。かつて中二病だったけれどどうにか社会復帰して、過去の自分を隠して暮らしているそこのアナタ!この映画はアナタの話でもあります。
 
ただし、ご覧になって悶死などなさいませんよう、くれぐれもお気を付けて。